立川カシワゴルフ今昔物語~前編~

昭和47年6月20日、立川カシワゴルフは立川市柏町の畑のど真ん中にオープンしました。

立川カシワゴルフを起業する前は、代々農業を営んでおり、立川ウドやキュウリやトマト等あらゆる野菜を栽培していました。また、養蚕事業も行っていました。

そんな時代になぜゴルフ練習場を始めたのか。その理由は、農地に関する税法の大改正でした。その大改正は、大都市圏市街化区域内の農地について、固定資産税および相続税の課税が宅地並みに引き上げられ、生産緑地などの手続きを行わず何もしなければ、農地に宅地並み課税が課せられるというものでした。

そこで、初代社長は、このまま農業を継続していくことは将来的に厳しいであろうから、家業を転換すべきと考え始めました。

ちょうど時期を同じくして、カシワゴルフ2代目の現社長は高校を卒業し、将来、家業の農業を継ぐために、日本大学農獣医学部へと進学しました。2代目の現社長は、高校時代に陸上競技に没頭し、1年中運動漬けの日々を送っていましたので、大学でも何か運動をしたいと考えていました。そして、友達の姉の夫が青梅ゴルフ倶楽部のプロゴルファーだったことから、何となくゴルフをやってみたい気持ちになりゴルフ部へ入部しました。

その後、時が進むにつれて都市近郊農業を取り巻く環境が劇的に変化してきたので、初代社長はいよいよ家業の転換をすべき時が来たと感じ、家業大転換の決断をしました。

当時は空前のボーリングブームが到来していたので、当初は1フロア100レーンのボーリング場建設を計画しました。しかし、近隣にボーリング場がオープンしたことから、計画を白紙に戻し違う道を模索し始めました。

そんな中、初代社長は築地の市場へ立川ウドを卸しに行く道中、東京タワーの足下にある芝ゴルフ練習場を目にしました。そこで、東京のど真ん中でゴルフ練習場が経営できるのだから、これなら自分の土地でもできるかもしれないと直感的に考えました。

それから初代社長は、地主ネットワークという広い人脈の伝手を使い、様々なゴルフ練習場を視察し、ゴルフ練習場経営者からアドバイスをもらい、また自分の土地の形状等を調査してゴルフ練習場経営が可能か否かを判断しました。そのような日々を送る中、ゴルフ練習場建設の構想や何をすべきかの輪郭が見えてきました。

そこからはトントン拍子で計画が進み、昭和47年6月20日に立川カシワゴルフがオープンしました。2代目の現社長曰く、「大学2年の暮れ頃、家業たる農業からの大転換が始まり、大学3年の6月にゴルフ練習場がオープンした」ということですから、まさに一気に計画が進み、立川市柏町の景色がガラッと変わる出来事だったに違いありません。

それから50年、立川カシワゴルフは屋外練習場から室内練習場へとリニューアルしました。このリニューアルの原因となったのも、実は税法の改正でした。

立川カシワゴルフとしては、もっと長く屋外ゴルフ練習場を継続するつもりでしたが、そう言う訳にはいかない税法の改正が、1世代早いゴルフ練習場の解体を招くことになりました。

屋外ゴルフ練習場の解体からリニューアルオープンまでのお話は、「カシワゴルフ今昔物語~後編~」をご覧ください。